Money talks

   ペリカンの歌

ペリカンは水の浅處に凝然と置物のごと立ちてゐるかも
浴して櫛梳りけむペリカンの濡れたる翼の桃色細毛
舶來の石鹸の香も匂ひなむうす桃色のペリカンの羽毛
ペリカンの圓ら赤目を我見るにつひに動かず義眼の如し
長嘴の下の弛みも凋みたりふくらむものと我は待ちしに

   禿鷲

プロメトイス苛みにけむ禿鷲も今日は寒げに肩を張りゐる
アンデスの巖根嶮しき山の秀の鋭どき目かもコンドルの目は
ジャングルに生ふる羊齒草えびかづら間なくし豹はたちもとほるを
短か手を布留の神杉カンガルー春きたれりと人招くがに
春の陽に汝が短か手を千早ぶるカンガルーは耳を掻かんとするか
去年見しと同じき隅に石亀は向ふむきたり埃を浴びて

 悟空によれば、変化の法とは次のごときものである。すなわち、あるものになりたいという気持が、この上なく純粋に、この上なく強烈であれば、ついにはそのものになれる。なれないのは、まだその気持がそこまで至っていないからだ。法術の修行とは、かくのごとく己の気持を純一無垢、かつ強烈なものに統一する法を学ぶに在る。この修行は、かなりむずかしいものには違いないが、いったんその境に達したのちは、もはや以前のような大努力を必要とせず、ただ心をその形に置くことによって容易に目的を達しうる。これは、他の諸芸におけると同様である。変化の術が人間にできずして狐狸にできるのは、つまり、人間には関心すべき種々の事柄があまりに多いがゆえに精神統一が至難であるに反し、野獣は心を労すべき多くの瑣事を有たず、したがってこの統一が容易だからである、云々。

ふだん、あんなに威張っている巡査が――その頃の朝鮮は、まだ巡査の威張れる時代だった。――どんなに其の時はうろたえて、椅子や卓子や、その他のありったけのがらくたを大掃除の時のように扉の前に積み上げたかを考えると、少年の私はどうしても笑わずにはいられなかった。それに、そのやって来た二匹連れの虎というのが――後肢で立上ってガリガリやって巡査をおどしつけた其の二匹の虎が、どうしても私には本物の虎のような気がしなくて、脅された当の巡査自身のように、サアベルを提げ長靴でもはき、ぴんと張った八字髭でも撫上げながら、「オイ、コラ」とか何とか言いそうな、稚気満々たるお伽話の国の虎のように思えてならなかったのだ。